春といえばお花見!ベルリンにある桜とその歴史

皆さんこんにちは。
今回はベルリンの春を美しく彩る桜について書きたいと思います。
私がベルリンに来て最初の春を迎えたのは2014年でした。
その当時私は、ベルリン中心部の少し北に位置するPrenzlauer Berg地区に住んでいました。
近所にはマウアーパークという、東西分断時にベルリンの壁で丁度区切られていたという歴史的な公園がありました。
まだベルリンに来て間もなかったということもあり、毎日近所を朝から晩まで散策しては新しい事を発見し、iPhoneで写真を撮りその場所の特徴や気に入った所などを、B5サイズのノートに箇条書きにしていました。

 

ある日同じように近所を徘徊していると、何度も通った事のある道になんだか見覚えのある木の列がある事に気がつきました。
私はまだ花のない裸のその木を、いつもの様にiPhoneで数枚の写真を撮り家に持ち帰りました。
帰宅後に早速インターネットでその木を調べて見ると、思った通りそれは日本で馴染みのある桜の木だという事が分かりました。
これが私がベルリンの桜に出会った最初の日でした。
後にベルリンの桜の歴史を調べていくうちに、なぜマウアーパークの近くに桜並木があるのかという謎が判明しました。

マウアーパーク近くの桜並木1
マウアーパーク近くの桜並木2

ベルリンの桜の歴史

日本のTV朝日は、1989年ベルリンの壁崩壊からドイツの東西分断の終了に触発され、1990年に日本で桜キャンペーンという名目で大規模な寄付金募集を開始しました。
ドイツ再統一と日独友好関係に気持ちを寄せる多くの日本国民の大きな関心の表れとして、日本の象徴の一つである桜をドイツに植樹するため多くの寄付が集まったのです。
桜は日本でとても馴染み深く人気があります。
春の満開時には、その儚くも力強い美しさが人々の心に安らぎをもたらし、春の風物詩として今もなお人々を魅了し続けています。
テレビ朝日が開設したこの桜キャンペーンには、約1億4千万円を超える寄付が集まりました。
この多くの寄付金により、ベルリンとブランデンブルグを中心に9,000本以上の植樹が可能になりました。

ベルリンの桜の歴史

ベルリンに桜を植樹する上での問題点と、背景にある戦争の爪痕

テレビ朝日の呼びかけで開始された桜キャンペーン。
日々多くの人から寄付が集まる中で、再統一したドイツの新たな出発に人々の安らぎが訪れる事を願い、ベルリンの壁跡地に桜を植える計画が始まりました。
しかし壁跡地周辺に植樹するにあたり、様々な問題に直面する事になったのです。
まず最初の大きな問題は、崩壊したばかりのベルリンの壁近辺は、誰に所有権があるのかがはっきりしていなかった事です。
そして旧西ベルリンとTeltow地区の境目には、ベルリンの壁が聳え立つ時代に西ベルリンへの逃亡者を見逃さぬよう、周辺の見通しを良くするために撒かれた大量の除草剤による影響でした。
土壌が死に草も生えないこの一帯は「死の帯」と呼ばれていました。
そのため、植樹を成功させるには桜の木を育成できる環境を整えることから始まりました。

ベルリンに桜を植樹する上での問題点と、背景にある戦争の爪痕1
ベルリンに桜を植樹する上での問題点と、背景にある戦争の爪痕2

遂に最初の1本の植樹、そして大成功に終わるまで

そしてこれら数々の困難を乗り越え、日本の桜キャンペーンの担当者と市の協議の結果、1990年11月遂にドイツ分断の象徴であったグリーニッケ橋(Glienicker Brücke)に最初の2本の植樹が行われました。
その後続々と学校やベルリンの壁跡地に、人々の安らぎを願い桜の植樹が続きました。
この活動に感動したベルリンとポツダム市は、桜を市の財産として受け取る事に決め今後の維持費などを受け持つ事になりました。
そして記憶にまだ新しい2010年11月9日、20年もの間続いたこの桜キャンペーンは最後の1本をベルリンのボーンホルマー通り沿い(Bornholmer Str)に植樹し大成功に終わりました。

ボーンホルマー通り沿い植樹

ベルリンで桜が見れるロケーション

1. Kirschblutenweg(S Bahn Bornholmer Straße駅の近く)
2. TV Asahi Kirschbaumallee(TV-朝日桜並木道)Lichterfelde地区の南方
3. Linienthalpark(LichterfeldeとMarienfeldeの間位)
4. Kollwitzkiez(Rykestraße)Prenzlauer Berg地区
5. Japanese Cherry Blossom Hanami Festival(ベルリンの花見大会)
ベルリン花見大会のFacebookページはこちら

最後に

ベルリンの桜はドイツ再統一を祝福し数多くの寄付金により日本から贈られました。
そして人々の安らぎを願い、東西分断されていた当時の壁付近に桜並木を造りました。
この街には毎年春の桜を待ち望んでいる人が沢山います。
4月の満開時期になると周辺は大勢の人で賑わい、写真撮影をする人、子供を抱きかかえて桜を鑑賞する人、恋人と愛を語り合う人等々沢山の笑顔で溢れているのがとても印象的です。
日本の象徴の一つである桜が、遠く離れた異国の地ドイツのベルリンでも愛されているという事、人々の日常の一部となっている事、そしてそれは日独の友好関係のひとつであるという事がなんとも感慨深いと思います。

 

この時代にもう一度考えなければいけない何かのヒントが、ベルリンのこの桜の歴史にあるような、そんな気がします。
皆さんも是非桜シーズンのベルリンとその歴史を堪能してみてはいかがでしょうか?

Schusei

Schusei

写真を用いたFine-Artとパーソナルジャーナリズムを展開しています。ドイツと日本をベースに、電子音楽家とデザイナーとしても活動中。


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