ミッテにあるベルリンのシンボルとされている門。正面部はパリ広場の西側に面している。ブランデンブルク門から東に向かうとウンター・デン・リンデンを経て王宮へとつながる。
竣工は1791年8月6日。高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11m。素材は砂岩。
18世紀頃のベルリンには街道各所に関税門があり、ベルリンを出入りする物資に関税を課していた。ブランデンブルク門ももともとは関税門のひとつだった。
門の名前はブランデンブルク辺境伯国の首都だった「ブランデンブルク」に通ずる役割を担っていたことから名づけられた。
その後、関税門は取り壊されていったが、ブランデンブルク門は残された。
平和の勝利を記念する「平和門」としての位置づけであったが、完成後にナポレオンによりベルリンは征服されブランデンブルク門はナポレオンの凱旋パレードのステージになり、ヴィクトリア像はフランスへ戦利品として持ち去られた。
その後、ナポレオン戦争によりプロイセン軍がパリを占領すると、ヴィクトリア像は再度ベルリンに持ち帰られ門の上に戻された。
それから、門は戦勝と凱旋のシンボルとなり、門の目の前の広場はパリ広場に改名され、ヴィクトリアの持つ杖には勝利を記念して鉄十字紋章が取り付けられた。
第二次大戦後、ブランデンブルク門は廃墟となったが、1957年に東ベルリンにより修復された。その時、ヴィクトリアの持つ杖の先は、社会主義国らしくなるよう平和の象徴であるオリーブの枝に変えられた。
ベルリンの壁建設後は行き止まりとなり通行できなくなった。
1989年にベルリンの壁が崩壊し、再び門の下を通行できるようになった。ヴィクトリアの持つ杖の先は再び鉄十字に戻り、2000年から改修された。
現在ではベルリンを代表する観光地となり、またドイツ東西の分離と統合のシンボルとしてユーロ硬貨の裏面に彫られている。
ベルリン以外に、ポツダム、アルテントレプトウにも同名の「ブランデンブルク門」がある。