冷戦時代に西側連合国によって設置された、東ベルリンと西ベルリンの間の最も有名なベルリンの壁の通過点。
東ドイツは、東ベルリンから西ベルリンへの市区境界を越えた逃亡を防ぐために、扇動と工作を繰り返した。
チェックポイント・チャーリーは東西の分離を表す冷戦のシンボルとなり、1961年のベルリン危機の際には、この場所でソ連とアメリカの戦車が一時的に対峙した。1963年6月26日、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領はチェックポイント・チャーリーを訪れ、プラットホームからベルリンの壁と東ベルリンを見渡した。
東欧圏が解体され、ドイツが再統一された後、チェックポイント・チャーリーの建物は観光地となった。
現在は、ベルリンのダーレム地区にある連合国博物館内にある。
チャーリーという名前はNATOの国際無線電信綴り字である「C」に由来している。
旧ソ連においては「フリードリヒ通り横断点(КПП Фридрихштрассе, KPP Fridrikhshtr)」と呼ばれていた。